生産しつつ体得する

目的は「対価」。そのための生産であり体得。

私たちには「生産力」が必要である。

生産の対価を得て、生きているからだ。

勉強しろ!と言う人もいるが

勉強しても対価は得られない。

なにかを成して(=生産)

その過程で、勉強が必要になる。

勉強が先ではいけない。

変な習慣がついてしまう。

勉強=物事に精を出すこと、という意味があるようだ。

であれば、問題ないが

私たちが体験した「勉強」というものは

違う意味を表している感覚に襲われる。

勉強と聞くと

学んで、覚えたかどうかテストして、終わり。

こういう印象が強い。

勉強という言葉を使わないようにしたほうがいいと考える。

「体得」がいいのではないか。

「生産」と「体得」はセットで考える

「体得」とは「体験して身につけること」。

なにを体験するか、生産行動だ。

要するに、「生産行動」を「体得」するわけだ。

そして、「体得」が先ではいけない。

「生産」が先であり、

その過程で必要になるから

「体得」が必要!、となるのである。

まとめると

生産↔︎体得を繰り返し

対価を得る

である。

もう一度、言う。

「体得」が先ではない。

「生産」と「体得」はセットだ。

生産↔︎体得で気をつけること

巷では

リスキリング(=職業能力の再開発、再教育のこと)

アンラーニング(=過去に得た価値観、および、既存のやりかたを一旦棄却し、取捨選択、新スキル/知識を得て新しいスタイルに修正すること)

という声があがっている。

世界が変化するため

従来のやりかたが通用しない(いずれ通用しなくなる)

という話だ。

ゆえに、これまでのやりかたを捨て

新しいやりかたで生産せよ、ということになる。

したがって、

その都度 世界を把握して

生産(=体得)するものを調整することだ。

結論

生産と体得は、相互に強化し合う関係である。

一方が他方を引き上げることで、個人の能力は飛躍的に向上する。

「生産(=体得)」を習慣的に反復して

「目的(=対価)」を得る。

本質はこれだけである。

勉強や学習なんてどうでもいい。

生産することで体得している、という状態が

習慣的に成長を加速させ、目的を叶えるのである。

さあ、生産だ!

生産性を高める具体的なアクションnote へまとめた。

生産性をどんどん高めて、目的を達成してほしいと願う。

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